スーパーの棚を一見すると、数多くのブランドが見えるかもしれないが、全て同じ持株会社に所属している可能性もある。スーパーだけでなく、日常的に出会う各会社が同じ持株会社で繋がっていることが多い。今回持株会社の場合、親会社と子会社はどのような関係を持つかを探りながら、日本の元3大財閥の三菱グループ、三井グループと住友グループの傘下にあった子会社についてネットワーク図にしたいと思う。
私はKFCでコカコーラを注文できずPepsiしか頼めないことがずっと気になったが、今回持株会社をリサーチすることをきっかけに、ようやく理由が明らかになった。
実はKFCはPepsiの子会社で、このような関係を持つ親会社と子会社が多いのである。持株会社の中でも何種類がある「事業持株会社」の他に「純粋持株会社」という種類の持株会社が存在し、二つの違いは親会社である持株会社とその傘下の子会社との特殊な関係にある。
日本経済産業省の調査結果(2016年3月10日発表)では、純粋持株会社だけでも 485 社(前年度比 7.3%増)が確認され、その業種別内訳は製造業20%、卸・小売業23%、金融保険9%、建設業8%、サービス業8%でこの5種類で全体の約70%を占め、売上高または営業収益の合計は3 兆 5,064 億円にのぼるという。
今回単なる子会社と親会社の関係ではなく、グループによって行う懇談昼食会に参加する主要会社だけ含めた。中に財閥であった頃子会社としての関係があったが、今独立した会社もある。メンバーの中のほとんどは持株会社であり、多くの子会社を持っている。 このような懇談昼食会は、その財閥の直系、準直系、またはそれらから分離した企業など、グループの中核的会社の社長によって構成される社長会のことである。各社の役員間の相互親睦と情報交換を目的とする会合でもある。
現代の住友グループは、17世紀に住友政友(まさとも)が京都に書物と薬の店を開いたことに始まる。政友は商人の心得を説いた『文殊院旨意書(もんじゅいんしいがき)』を残し、その教えは今も「住友精神」の基礎となっている。
同じ頃、京都で銅細工業(屋号・泉屋)を営んでいた政友の姉婿、蘇我理右衛門(そがりえもん)は、ヨーロッパ人に聞いた粗銅(あらどう)から銀を分離する精錬技術「南蛮吹き」を苦心の末開発した。
蘇我理右衛門の長男で政友の娘婿として住友家に入った住友友以(とももち)は、大坂に進出、父理右衛門と協力して同業者に「南蛮吹き」の技術を公開した。これにより住友・泉屋は「南蛮吹きの宗家」として尊敬され、同時に大坂は日本の銅精錬業の中心となった。
江戸時代の日本は、世界有数の銅生産国であり、友以は銅貿易をもとに糸、反物、砂糖、薬種などを扱う貿易商になり、さらには分家が両替商も開業し、泉屋は「大坂に比肩するものなし」と言われるほどに繁盛する。
現代の三井グループは、17世紀に三井高利が越後屋三井呉服店(三越)を創業することに始まる。三井高利は伊勢から江戸に出て1673年越後屋三井呉服店(三越)を創業した。京都に京呉服店(仕入れ部)を創業し、その後京都や大阪でも両替店を開業し、呉服は訪問販売一反単位で販売し、代金は売り掛け(ツケ払い)、という当時の商法をくつがえす、「店前売り」と「現金安売掛け値なし」(定価販売)などで庶民の心をとらえ繁盛。その後、幕府の公金為替にも手を広げ両替商としても成功し、幕府御用商人となり、屈指の豪商となった。
現代の三菱は19世紀に土佐藩出身の岩崎彌太郎が海運事業を興したことに始まる。彼は明治政府の保護も得て海運業を独占した。幕末期、彌太郎は土佐藩の役人として長崎に赴任、しょうのうや鰹節など土佐の特産品を売り、軍艦や武器を購入していた。その後大阪に移ると貿易と海運に辣腕をふるい、藩の活動に大きな役割を果した。
海運業と並行している事業の多角化をすすめ、三菱財閥の基礎を築いていく。1893年三菱合資会社を設立し、これを持株会社として造船業・鉱業・鉄道・貿易などあらゆる分野に進出した。また、金融、倉庫業、保険などの分野ヘ投資、鉱山、生命保険、水道などの経営にもかかわって行く。
世の中で関わるお店や会社の裏に複雑な関係やつながりがあるので、今回ネットワーク図でわかりやすくできるように挑戦した。これで3大グループの現状と歴史を比較することができる。子会社が多いのに、なんで具体的に以上の会社や業種を選んで会合に参加させたのかを読者に考えさせることを目指した。